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SNSの哲学 リアルとオンラインのあいだ

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2023年 戸谷洋志   四六変形 ソフトカバー 144ページ  ------------- 【出版社より】 正解のない問いを考え、多様な他者と生きる シリーズ「あいだで考える」創刊! 不確かな時代を共に生きていくために必要な 「自ら考える力」 「他者と対話する力」 「遠い世界を想像する力」 を養う多様な視点を提供する、 10代以上すべての人のための人文書のシリーズ。 * 『SNSの哲学――リアルとオンラインのあいだ』 あなたに考えてほしいのは、 「SNSをどう使うべきか」といったマニュアル的なことではなく SNSを使っているあなた自身が何者なのかという問いなのです。 承認・時間・言葉・偶然・連帯。 SNSを使う私たちを描く 新しい哲学の本。 10代の生活にすっかり溶け込んでいるSNSの利用をめぐるさまざまな現象――「ファボ」「黒歴史」「#MeToo運動」など――を哲学の視点から捉え直し、この世界と自分自身への新しい視点を提供する。若い読者に「物事を哲学によって考える」ことの面白さと大切さを実 践的に示す一冊。(装画:モノ・ホーミー) はじめに 1章 なぜSNSで承認されたいのか?  1 「SNS疲れ」の正体  2 私たちはなぜ承認を求めるのか?  3 相互承認の境地へ 2章 SNSにはどんな時間が流れているのか?  1 タイムラインに時間は流れていない  2 SNSに時間を作りだす  3 人間の生きる時間性 3章 SNSではどんな言葉が交わされているのか?  1 私たちはなぜ「つぶやく」のか?  2 「つぶやき」と炎上  3 言葉とルール 4章 SNSに偶然はあるのか?  1 SNSのアルゴリズム  2 アルゴリズムと偶然性  3 自分自身を創造する 5章 SNSで人は連帯できるのか?  1 政治に利用されるSNS  2 SNSがつむぐ連帯  3 つながりに力を与えるために おわりに リアルとオンラインのあいだをもっと考えるための作品案内 ------------- 【またたび文庫の感想文】 創元社さんがことしの4月より創刊した人文書レーベル 「あいだで考える」シリーズの第二弾。 1892年に大阪で創業し、関西の出版文化をになってきた創元社さん。 この時代に人文書レーベルを・・・! しかも「10代以上 すべての人に」とある。 出版不況と叫ばれ続けて30年 若者に本は売れないといわれる中 傍流ではインディペンデントな出版活動が台頭している今現在。 歴史ある版元のチャレンジングな取り組みすごいなぁ とひとり感動し、注文しました。 * さて 今この文章を読んでいるというあなたが見ているもの、 それはInstagramというSNSですね。 数年前まではなかったはずなのに 気づいたら手元にある。 今でこそコミュニケーションツールとして なくてはならない存在になっている。 何かと社会問題が起きるとインターネットやSNSに関連づけられる世の中。 「SNSとどう付き合うか」という問題提起もよく見かける。 本書は、SNSを取り巻く問題に物申したり、 解決へと導こうとするものではない。 「なぜSNSから目が離せないのだろう?」 という個人の内面に対する問い。 その問いを深めるために、哲学の視点を用いる試みである。 * 「いいね!」を欲する承認欲求と、ヘーゲルの「自律・他律」 インスタグラムのストーリーと、ハイデガーの「時間」 ツイッターの炎上と、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」 など 身近なSNSの問題をきっかけに 5人の哲学者の思想が紹介されていく構成。 SNSに関わる自分をメタ認知しつつ 哲学への親近感もわいてくる。 自分の感情の動きと照らし合わせてみると 面白い体験になるかも。 * 興味深かったのが ツイッターの特殊な言語空間について。 ツイッターの特徴は どのような言論空間として使うかが 各々で異なる点にある。 「本音をつぶやく」場所として使う人。 「公共の意見を発信する」場として使う人。 単に目立ちたい、コンテンツを発信したい。 炎上やリツイートなどでトラブルがよく起こるのは 発信する際の前提がそろっていないから。 リアルな場面で例えるとわかりやすい。 * たとえば 普段の井戸端会議ででてくる「最近卵高いね〜」 という話。 意見でもなんでもない、世間話この一言。 実は、炎上リスクをはらむのだ。 ヴィーガンの人「卵ばかりに頼っているから文句をたれるんだ」 養鶏場の人「こっちは鳥の処理で大変なんだ!」 共産党の人「物価と税金が上がって、賃金低いのはおかしいよね!」 言いたい放題なコメント欄を目にしたことがあるだろう。 「誰が、どんな場で」言葉を発したかが見えないために 各々の利害の立場から勝手に解釈してしまう。 その結果湧いてきた怒り、勝手な同情、なんかを勝手に表明する。 一生会わないであろう顔の見えない相手だから、無責任なのだ。 リアルな場面では、 そんな事態はほぼありえない。 「そんなこと言われても、ただの世間話なのですが・・・」 という感覚を持つはず。 * 個別の言語空間ごとに、独特の作法がある。 その作法に則って、人は言葉を発する。 よって、コミュニケーションが成り立つのだ。 このことを ヴィトゲンシュタインは「言語ルール」といった。 彼風にいうと、ツイッターとは 各人が自分勝手に「言語ルール」を持ち出して発言しているカオスな場である。 そりゃあ、トラブルもおこるよね。 自分が誰かの発信に違和感を持ったときも 「自分の言語ルールで勝手に解釈している」だけなのかも。 少し立ち止まり、気づくための概念でもあるのだ。 SNSの具体的な構造を紐解き 面白がってみようという意欲作です。 ぜひ。

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