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マクルーハンとヴァーチャル世界

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クリストファー・ホロックス 著 小畑拓也 訳 2005年 岩波書店   B6変形判 ハードカバー 124ページ  ------------ 【出版社より】 新たなテクノロジーによりメディア環境が一変した現代,「メディアがメッセージである」という言葉に代表されるマクルーハンのメディア論が再び脚光を浴びている.ヴァーチャルリアリティがもたらす感覚的・心理的・社会的影響力をめぐるさまざまな議論と交差させながら,情報革命の時代にマクルーハン思想がもつ意味を再検証する. ■ちょっと立ち読み ポストモダニズムという布置の中でマクルーハンが占めている位置は,それゆえに矛盾をはらんだものとなり,そこでは,彼の取り上げた主題が,テクノロジーという要因を強調する昨今の文化理論と一致しているようにも見えるのだ.マクルーハンは表面的にはポストモダニズムを規定するようなテーマを扱っているにもかかわらず(たとえば,メディアが意味に取って代わるというような),彼の理論のモデルはコミュニケーションの起源と透明性の探究を基礎として構築されている――それこそがポストモダンの理論が暴こうとしている前提条件なのに.マクルーハンの思想は,脱構築の教訓を吸収しないかぎり,彼自身にさえそれが何であるのかわからない様式に組み込まれてしまっているのである.ということは,彼をポストモダニズムという言葉が生まれる以前からのポストモダニストだとするのは単純化が過ぎるということになる. (本文「ポストモダニストの原点? マクルーハン以降の理論」より) ■全体の目次 日本語版によせて マクルーハンとヴァーチャル世界   原注 文献 基本概念 〈解説〉 マクルーハンを甦らせる方法(吉見俊哉) 読書案内(吉見俊哉) ■本文の詳細目次 序論――聖者マクルーハン マクルーハンを削除する マクルーハンの文化経済 マクルーハンの理論検証――未来予測の問題 ポストモダニストの原点? マクルーハン以降の理論 ヴァーチャル世界の理解――マクルーハンと新しいメディアの物語をつなぐもの マクルーハンの探査法 肉体なき人間とつながりを欠くアイデンティティ 結論――ヴァーチャル・マクルーハン ------------ 【またたび文庫の感想文】 1967年。 テレビをはじめとした電子・視覚情報のメディアが大衆化しはじめたころ。 「メディアはメッセージである」 情報そのものではなく、 情報を伝える媒体にメッセージがある。 示唆的な発言によって メディアの論客として祭り上げられたマーシャル・マクルーハン。 一躍時のひととなった彼はしかし、 80年代には懐疑的、「古い見方」という批判眼が下されるようになる。 2005年に出版された本書は マクルーハン理論の隆盛を再評価する内容。 * 彼が、今のインターネットのような 電子メディアに期待していたのは 「情報格差のない、自由でひらかれた場」。 個人的には 18世紀イギリスの新聞とコーヒーハウス文化のような 政治的な意味として理解していた。 ​ところがマクルーハンはそれよりも メディアが及ぼす精神への影響について強調する。 古代ギリシャの哲学者プロティノス(BC205〜270)の主張する「魂の開放」。 魂は物質的な体を逃れ、理想的な現実の中で統一を得る。 マクルーハンはそれを 電子メディアがつくりあげるヴァーチャル空間にみる。 文字の発達は、論理的理解を促すが 感覚知をにぶらせた。 聴覚性をともなう電子メディアの発達によって われわれは「原始の知覚」を取り戻す・・・。 メディアに「進歩」をみるのではなく 「回帰」をみるのが、マクルーハンの面白いところ。 出版業界にいると 何かと毛嫌いされがちなヴァーチャル世界だけど 視点を変えて体験してみるのもいいかも。 マクルーハン、メディア論に少し踏み込むための一冊。 ぜひ。

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