

SOLD OUT
小林秀雄
2022年 中公文庫
352ページ
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【出版社より】
小林秀雄はいかに戦争に処したのか。昭和十二年七月から二十年八月までの間に発表された社会時評を中心に年代順に収録。文庫オリジナル。
〈解説〉平山周吉
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【またたび文庫の感想文】
毎年6月23日は沖縄・慰霊の日。
沖縄では毎年6月、
学校で平和学習をする時期だった。
戦時中の話を聞く、資料館へいく、写真の展示をみる、平和劇を演じたり合唱曲をうたう。
大学の頃のFBの投稿を見ると
人類館事件や沖縄の政治について書いてたりする・・・
沖縄を出てからもやはり
何かを考えたり発信したりせずにはいられないのだと思う。
幼い頃はただただ、戦争がこわかった。
首のない日本兵が走っていた、
そんな実体験を聞いたことがある。
「昔は大変だったんだよ」なんて浪花節には回収されない
末恐ろしい現場。それが戦争なのだ。
大学生になると少し感覚が変わった。
沖縄の外へ出ると、「慰霊の日」を知る人は思ったより少ない。
「戦争は怖い」という肌感覚に加え、
責任じみたものが生まれてくる。
それが政治への目覚めに通じてくるのだと思う。
どうやったら戦争は止められるか。
拙いあたまで学んだり考えるけれど
事実関係はあまりにも複雑で、
誰のせいでもあるし誰のせいにもできない。
戦争へ行ったことがない私の考えは、
意味があるようで、実はない、とすら思う。
戦争反対という正義が戦争をうむ。
その構造は「誰か」に操作されているかもしれないけれど、「誰か」はわからない。
人間は平和を望む生きもの、だからこそ戦争はおこる。
これは変な悲観主義ではなく、事実である。私はそう思う。
批評家の小林秀雄(1902〜1983)が
盧溝橋事件の後、1937年に書いた文章がここにある。
”戦争に対する文学者としての覚悟を、ある雑誌から問われた。
僕には戦争に対する文学者の覚悟というような特別な覚悟を考えることができない。
銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国のために死ぬであろう。
僕にはこれ以上の覚悟が考えられないし、又必要だとも思わない。
一体文学者として銃をとるなどということがそもそも意味をなさない。誰だって戦う時は兵の身分で戦うのである。”
彼は別に国粋主義者ではない。
日本という国、今戦争をしている世界の運命には逆らえない。
それだけのことを言っている。
最近、知床の斜里へサクラマスの遡上を見に行った。
川で生まれ、海を周遊したあと、産卵期になるとサクラマスたちは生まれた川へ戻る。
帰ってきたサクラマスたちは、ひたすら川の上流を目指す。
落差2〜3メートルもあろうかという滝をこえようとジャンプする。
そう簡単に超えられるはずもない。
同じ場所では天敵のキツネや鳥たちが待ち受ける。
運よく流れに乗れたサクラマスだけが、滝の上流で産卵し、一生を終えることができる。
なぜわざわざ滝を越えようとするのか?
それは彼らの帰巣本能であり、森へ窒素が還っていく自然の仕組みなのである。
浅いこじつけだけど、
その現場を見たときに特攻隊のようだと思ってしまった。
サクラマスたちに飛ぶか、飛ばないかの選択権はない。
自分では知ることのできない、厳然たる自然の仕組みの中で、生かされて死んでいくだけ。
戦争はだれが起こしているかなんてわからない。
ただ、始まってしまったら勝つために進むしかない。
自分の命が自分のものではない。
「欲しがりません勝つまでは」
それは、当時の人にとってはごく自然な真実であったのだろう。
戦争を、生身の自分とかけ離れたもののように認識する。
ゆえに、付け焼き刃の批判眼からくる正義をふりかざす。
この危うさを、小林秀雄は気づかせてくれる。
戦争とは、自分が死ぬか、相手を殺すか、それだけの問題。
文明が今まで築き上げてきた倫理観が一気に崩れる場所。
凄惨な現場に自分がいるという恐ろしい感覚。
そのことへの想像力をいやでも働かせることが、
平和教育なのかもしれない。最近ではそう思うようになってきた。