

オオヤミノル
2022年 誠光社
四六判変型 仮フランス装
143ページ
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【出版社より】
われわれは一体誰と契約をしているのか?
SNSとグルメサイト、クラウンドファンディングとポイントカードに骨抜きにされた消費者万能の暗黒時代に模索する「いい店」の条件。自身の迷走を振り返りつつ、犬の目線で語る、経済、仕事、メディアにコミュニティ。金言だらけの与太話再び。
京都出身の焙煎人であり、京都[KAFE工船]、倉敷[カフェゲバ]などのカフェを営む著者が、街場の語り口で考える、この時代いかにして「いいお店」が成立するか。
情報消費、権威主義、労働者と消費者の物象化と疎外、シェアという名の労働力搾取まで、昨今の小商いにまで侵食する不可解な現象を、社会契約論にまでさかのぼり、共有地、贈与、ローカルなど広範囲にわたるキーワードとともに考察した、痛快かつ深い喫茶・小商い論。
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【またたび文庫の感想文】
”本来、美味い不味いや、美しいということは遊びではない。
なんならすべて遊びではだめなんだけど、
今は不味いものを美味しいということが、まるで遊びのように、
まあ簡単にできる時代だよね。”
(p18)
”喫茶店やあらゆる小売業を商うためには契約が必要で、
契約を遵守しているからこそ自分より強い人間の奴隷にならずにすんでいるわけ。
なのに契約の「オレ的解釈」や商品の物語化によってその意味が死んでしまい、
結果契約違反が横行することになる。”
(p22)
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喫茶店の仕事は、良質な豆を仕入れ、
美味しいコーヒーを淹れて、お客さんから適正な差額をいただくこと。
「美味しい」を追求しつづけてこそ、商売が成り立つ。
厳正なルールがそこにある。
ところが今の時代、「ルール」がなんだか危うくなっている。
コンセプト、ブランディング、
等々、いろんな横文字が行き交う世の中。
顧客は、店側のアピール通りに、モノを受けとっていく。
結果、お客さん個人が判断することをやめてしまい、向こう側から提供される情報に頼っていく。
消費のパノプティコン構造を、
自身の言葉で表すオオヤミノルさん。
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自分のやっていることについて考える。
本を卸値で仕入れ、買値でお客さんに買ってもらう。差額をいただく。
その差額分に、どれだけ、血の通った労働価値をのせられているか?
自分の目と心が納得のいく本を見つけ、仕入れる。文脈にそって美しくならべる。
お客さんが求めているものを自分で見つけてもらい
たのしく読み通してくれるように工夫する。
ここちよい関わりあい、場づくり。
日々自問自答しながら続けていくことが
店をよくしていくんだろう。
そう背筋をのばさずにはいられない・・・。
「職業意識の変化」、「資金調達について」、「ローカルであることの必然性」
オオヤさんは具体的な言葉で、普遍的なお店のあり方を問う。
とても、力のある一冊です。
ぜひ。