


小田龍哉 著
左右社 2021年
四六判 ハードカバー
------------------------
【またたび文庫の感想文】
”思想空間の「逆流」”
これは、南方熊楠の思想体系である「事の学」、
そのなかで説かれる真理としての「二而不二(ニニフニ)」
を読み解くためのキーワードである。
著者が提示したものなのだが、いかにもカッコイイ。
熊楠の思想体系である「事の学」そして「二而不二」とは、
著者・小田のいう「思想空間の逆流」とは、どういうことなのだろう。
ここではひとまず、私が咀嚼できた内容について書いてみたい。
南方熊楠(1867-1941)は近現代の日本を代表する生物学者・民俗学者。
粘菌研究や自然保護運動のパイオニアとして、
柳田国男に「日本人の可能性の極限」と評された「知の巨人」として、
また、数多くの奇人エピソードを残した稀有な学者として、
その名を知る方も多いだろう。
彼が青年期を過ごしたのは、
東洋の朱子学がつくった学問基盤に、西欧の学問が流れ込んできた時代。
いまでこそ一般的である「哲学」「心理学」「物理学」といったコトバは存在していない。
当時の民衆の思想基盤は、中国からきた儒学を日本的に発展させた朱子学にあった。時代の転換期、日本はふたたび
西欧由来の学問を受容・発展させる土壌形成の必要に迫られたのである。
朱子学における真理の概念「理(ことわり)」において、
西欧からきたphilosophyやscienceといった学問をどう理解させるか。
西周や中江兆民らが苦心して考えついたのが、
「哲学」などのコトバであり、学問領域であった。
西欧の学問において長い間論争されてきた、
唯物論と唯心論の二項対立をあらわす物心二元論。
生活道徳的な側面のつよい朱子学の領域では、その理解がむずかしい。
だからこそ、二元論を統合する真理のための学問”philosophy=「哲学」”ということばが、日本人には必要だったのである…。
さて、南方熊楠は、当時の学者たちが真摯に向き合ってきた「西欧学問の受容」をひょいと退けた。
彼は、真言宗の僧侶である宗教家・土宜法龍にあてた書簡にこう漏らしている。
”小生はギリシア・ローマの哲学などというものは、決してそんなにえらいものにあらず。(中略)
また、サイエンチストも、理学者とか科学者とかいえど、中には得手勝手な無用のものも多し、必ずしも理を論じ科を分かつにもあらず”(本分より)
幕末から明治にかけて、学問のメインストリームは、中江兆民らによる「西欧学問の翻訳作業」にあった。
それを直感的に放棄した熊楠がおこなったのが「事の学」だったのである。
「”心”と”物”がまじわりて生じるのが”事”である」
抽象的ではあるが、ある具体的な事象に対する所作や感性にこそ真理がある、という意味において、華道や茶道のような日本的な精神に近いものがある。
「事の学」とは、南方熊楠が公に提唱した概念ではない。
それは、土宜法龍と交わした往復書簡のなかで紡ぎだされた、
あくまで個人的な思想体系であった。
近現代の思想空間は、「コトバで語られることこそが正義」といわんばかりの空気にあふれている。
容易には語りえない、学問に対する”違和感”を
時間をかけてすくい上げていこうとしたのもまた、
熊楠による「事の学」だったのである。
個別の「心」や「物」についてばかり研究するのではなく、
両者が交わりあって生じる「事」の研究こそ重要である。
「物」と「心」は異なる存在であり、また同一の存在でもある。
熊楠は、「二而不二(ニニフニ:ニにして一、一にして二)」という真理を、
「事」のなかにみようとした。
彼の思考を読み解くためには、現在の学問領域を飛び越えて思考する必要がある。
朱子学による真理体系が説かれていた近代の藩校へと、
熊楠が大英博物館で学んだ博物学へと、宗教学へと、思いを馳せる。そこで使われていた思考の型を借りて、文献を読み解く。
”思想空間の「逆流」”とは、
時代背景と学問、個人の生とを重ね合わせていく作業なのである。
ドラマチックで「読ませる」展開を見せる、稀有な論稿集。
人文書ファン、熊楠ファンにはぜひチェックしてみてほしい一冊。